アイヌの人々は漁狩猟、山菜採取、簡単な農耕によって食糧を得ていました。漁狩猟は男性が、山菜採取、農耕は女性や子供が担っていました。狩猟は主に秋から翌年の初夏にかけて行われました。シカ、クマ、ウサギ、タヌキ、キツネ、テンなどの獣類や、鳥類が対象でしたが、シカを除くクマや小動物は、食糧獲得よりも毛皮獲得に重きが置かれていました。シカ猟は、シカの自由がきかなくなる積雪期に行われ、数人の男性が海や川、崖に追い込んで、一度に複数のシカを獲りました。クマ猟には、冬眠中のクマを対象とした穴グマ猟と、主に夏から秋にかけてのワナ猟がありました。その他の小動物のほとんどはワナ猟による捕獲でした。
海での漁猟ではクジラ、イルカ、トド、アザラシ、オットセイなどの海獣類、カメ、メカジキ、マンボウ、サメなどの大型魚類、ニシン、カレイ、イワシ、タラ、カジカなどの小型魚類が捕獲されました。クジラの捕獲の多くは、海浜に寄り上がった「寄りクジラ」でした。イルカやトド、アザラシなどの海獣類、大型魚類は、キテと呼ばれる銛を使って捕獲しました。小型魚類には、衣服のアットゥシの素材であるオヒョウやシナの内皮を撚った縄を編んだ網が用いられました。川漁では、サケ、マス、ウグイ、イトウ、シシャモ、ヤマメ、イワナ、フナなどが対象となり、その捕獲には網や簗(やな)がもちいられましたが、サケやマス、イトウなどの大型の魚は、マレク(マレプ)と呼ばれる鉤が用いられました。
アイヌの人々は、一年を通じてさまざまな動物を捕獲しましたが、そのなかで最も重要な食糧なのがシカとサケでした。シカとサケはともに「群れ」をなして行動しているので、一度に大量に獲ることができ、効率的な食糧でした。
山菜採取は春から秋にかけて行われました。アイヌの人々は植物に関する知識が豊かで、数百種類の山野草を食用のほかに薬用としても利用しました。
農耕がいつから始まったかははっきりとは分かっていませんが、いまから800年以前からヒエ、アワ、キビなどが栽培されていましたが、施肥、除草などは行わない、極めて初源的なものでした。江戸時代の末期には、和人の影響を受けて蔬菜類の栽培が始まり、ジャガイモやカブ、ダイコン、カボチャなどがつくられるようになりました。アイヌの人々の農耕が本格化したのは明治以降です。 アイヌの人々は計画的に食糧を獲得し、冬期間や飢饉に備えて食糧を加工して保存しました。アイヌの人々の保存法は塩を使わず、そのほとんどが乾燥・燻製です。肉類は切って茹でて乾燥させたり、燻製にして保存します。魚は焼き干しや燻製にして長い間保存できるようにしました。そのほか、穀物や豆類、山菜類も乾燥させます。食糧は「プ」と呼ばれる高床式の食糧保存庫に貯蔵します。プには常時、2~3年分の食料が保存されていたといわれています。