アイヌの人々は、動物の毛皮や魚皮、樹皮、草の繊維で衣服を作りました。古くは動物の毛皮を使った「獣皮衣」を身に着けていたと考えられますが、次第に樹皮や草などの植物繊維を用いた「樹皮衣」「草衣」と呼ばれる衣服が主流となり、江戸時代になると、「木綿衣」が「樹皮衣」とともに一般的となりました。
獣皮衣は、クマやシカ、イヌなど陸の動物や、アザラシやラッコなどの海の動物の毛皮から作られ、冬期間や狩猟の際に用いられました。魚皮衣は、サケやマス、イトウなど比較的大型の川魚の皮を用いた衣服で、主にサハリン(樺太)アイヌが用いました。
樹皮衣は、アイヌの人々の代表的な衣服で、山野に自生するオヒョウやシナ、ハルニレという木の内皮(靱皮)を素材としています。北海道のアイヌの人々は「アットゥシ」、サハリンでは「カーアハルシ」といいます。アットゥシには、文様のない日常着・労働着と文様をほどこした晴れ着の2つがあります。アットゥシの文様は、木綿布で襟、襟下、袖口、裾と、それらに隣接した部分、背面上部などにほどこされますが、木綿衣のように衣服全体にほどこされることはありません。アットゥシは、水をはじいたり、水に浮くことから、江戸時代、和人の船乗りたちも着用していました。
江戸時代の後半から木綿布が入手しやすくなり、アイヌの人々の晴れ着の主流は木綿衣となりましたが、アットゥシも晴れ着のひとつとして、現代に伝えられています。
「草衣」は、イラクサの繊維を素材とした衣服です。主にサハリン(樺太)アイヌが製作・着用した衣服で、「テタラペ」あるいは「カーアハルシ」と呼ばれます。かつては、北海道のアイヌの人々も製作・着用したようですが、博物館などに現存している多くはサハリンアイヌのものです。アットゥシと同様に、襟、襟下、袖口、裾と、それらに隣接した部分、背面上部に文様がほどこされますが、文様に使われる布は木綿の他、絹も使われており、文様の構図もニヴフやウイルタなど周辺の民族との類似が認められます。
木綿衣は、江戸時代、木綿が入手しやすくなってから盛んにつくられるようになりました。独特の文様をほどこしたものは晴れ着として、儀礼のときなどに着用されました。木綿衣には地域性があり、名称・文様の構図とともに、大きく「ルウンペ」「チカラカラペ」「チンジリ」「カパラミプ」の4つに分けられます。「ルウンペ」は、木綿の生地に細い白布や色布を切り伏せ(アップリケのように縫い付けることです)して、さらにその上に糸で刺繍をほどこした衣服で、主に北海道太平洋沿岸の噴火湾から室蘭、白老にかけてつくられました。古いものでは、イラクサでつくった糸を使用しているものもあります。
「チカラカラペ」は、木綿の生地に黒や紺の布を切り伏せして、その上に糸で刺繍をほどこしています。大きな特徴は、白布がほとんど使われないことです。また、男性用には、本州から入ってきた着物をそのまま生地として、その上に切り伏せをほどこしているものもあります。
「チンジリ」は、色布の生地に直接刺繍をほどこしたもので、切り伏せはありません。主に北海道東部や中央部でつくられました。
「カパラミプ」は、比較的新しい衣服で、明治末ころから大正時代に北海道南部の静内地方(現新ひだか町)でつくられ始めたといわれています。生地に大幅の白布を切り伏せしたものです。現存している衣服のなかでは一番多いものです。
これら4種の衣服はいずれも晴れ着ですが、アイヌの人々の日常着・労働着としては、文様のないアットゥシや本州の人々と同様に古い木綿布を縫い合わせてつくったものなどがありました。 装う
アイヌの人々は、儀礼に参加するときなど、晴れ着の着用とともに装飾品も身につけました。代表的なのは、女性の首飾りや耳飾り、手甲・脚絆、鉢巻などです。
首飾りは、大小のガラス玉を連ねたもので、アイヌ語で「タマサイ」といいますが、特に、真鍮製の飾り金具がついているものを「シトキ」と呼んでいます。古いものは大陸からもたらされた青玉を連ねただけのものでしたが、本州の堺でつくられた「さかとんぼ」と呼ばれる色玉が入るようになると、色彩が一層豊かになりました。また、江戸時代末期から明治にかけては、江戸の松前藩下屋敷でつくられた「埋掘とんぼ」と呼ばれる色玉が用いられるようになりました。玉は大変高価で、女性が漁場などで働いた賃金すべてを使っても数個しか求めることができませんでした。
耳飾りは、細い真鍮を円形に曲げたものですが、なかには銀メッキしたものもあります。アイヌ語で「ニンカリ」といいます。江戸時代末期までは男性も着用していました。大小さまざまなものがあり、大きいものでは直径10㎝になるものもあります。
手甲・脚絆は、本来は労働の際に身につけたり、旅装として用いられたものですが、アイヌの人々は、刺繍文様をほどこし、装飾品の一つとしました。現在でも、大きな儀礼や催事のときなどには、晴れ着とともに着用しているのを目にします。
アイヌの人々の衣服・装飾品は、金属製品を除き、自らがつくり出したそのほとんどに独特の文様がほどこされています。アイヌの人々は、「美」を創造し、「美」とともにあったといえます。