踊る・歌う
アイヌの人々は、日々の生活のなかで歌い踊りました。儀礼などまつりごとのときには神々とともに楽しみ、労働に併せて歌い、悲しみや恋心を歌い、心の内を表現しました。
アイヌの人々の踊りには、儀神々への感謝の想いを表現するものや、動植物の動きを表現したもの、働く様を表現したもの、魔払いの意味を込めたもの、娯楽的なものなどがあります。
歌や踊りの中心は女性で、女性たちが輪になって座り、シントコ(行器)の蓋を叩きながら歌ったり、大きな輪になって時計まわりにゆっくりと踊ります「ウポポ」「リムセ」「ホリッパ」と呼ばれる歌・踊りで、人々が集まると必ず踊られます。
男性の踊りは、クリムセ─弓の舞や、エムシリムセ─剣の舞、タプカラ─踏舞などわずかで、踊り手も1名あるいは2名と少数です。地域によっては、エムシリムセ、タプカラに女性を伴うことがあります。
動植物の動きを表現する踊りは北海道各地にあります。鶴の親子の動きを表現したサロルンチカプリムセ、キツネの動きを表現したチロンヌプリムセ、ネズミの動きを表現したエルムウポポ、浜に打ち上がったクジラを発見したときの様子を表現したフンペリムセ、トドマツが風に揺れる様子を表現したフッタレチュイなど、多種多様です。、働く様を表現したものには、酒を造る様子を表現したサケカル・ウポポ、杵つきの様子を表現したイユタ・ウポポ、種まきの様子を表現したスチョチョイチョイナなどがあります。魔払いの意味を込めた踊りは、火事や変死人があったときなどにやられるもので、ニウェン・ホリッパ、ニウェン・アプカシなどがありますが、踊るというよりも魔に対する示威行動という性格が強いものです。娯楽的なものとしては、一人の男性を二人の女性が奪い合う様を模したシネオッカイトゥメノコ、新しい橋の渡りぞめを模したルイカ・リムセなどがあります。こうした踊りには伴奏楽器はなく、すべて歌と手拍子で踊られます。この踊りとは別に、女性が一人で歌うものに、イオハイチシ、ヤイサマネナがあります。ともに叙情歌などと訳されていますが、女性の恋心や哀切の想いを即興的に歌ったものです。もともとは個人の歌であったものが、いつしか歌い継がれ、現代に伝えられています。
奏でる
アイヌの人々の数少ない楽器のひとつに「ムックリ」があります。ムックリは竹でできた口琴で、口にくわえて演奏します。長さは10~15センチメートル、幅が約1センチメートルの薄い板状の楽器です。中央に切り込みが入っていて、舌状の弁が作られています。これを口にくわえ、根元につけられた糸を引っ張ると弁が震え、口の中で共鳴して音が出る仕組みです。糸を引く強さや口の開き方、呼吸の強弱で音色が様々に変わります。
ムックリと同じ仕組みを持つ口琴は、台湾の原住民や北方圏の少数民族などのほか、世界各地で見られます。
もうひとつ、アイヌの人々の楽器に「トンコリ」があります。トンコリは竪琴で、長さがおよそ1m、幅が15センチメートルほどの大きさです。多くは5本の弦が張られていますが、3弦や6弦のものもあります。サハリン(樺太)アイヌの楽器として伝えられていますが、古い時代には北海道のアイヌの人々も持っていました。
座った姿勢でトンコリを肩に立てかけて、弦を指で弾いて演奏します。トドマツ、クルミ、イチイ、ナナカマド、ホウノキなどがトンコリの素材です。胴は一本の木をくりぬいてつくられ、天板が張り合わされています。
アイヌの人々は、トンコリを命を持った生き物であると考え、一番上を「頭」、弦を巻く棒を「耳」、天板の穴を「へそ」と、人の体になぞらえて呼びました。トンコリの胴の中には、ガラス玉や小石が入れられていますが、これはトンコリの「魂」や「心臓」と呼ばれる大切なものです。
遊ぶ
アイヌの子供たちは、遊びを通じて生きていくうえで必要な知識や知恵を身につけていきました。男の子は魚突きの遊びや輪投げの遊びを通して、猟に出るときに必要な技術を少しずつ学んでいきます。転がってくる輪や、木につるした貝などを標的にして、子供用の弓で射る弓遊びなど、槍や弓を使う実戦的な遊びがたくさんありました。道具は子供たち自身でつくりました。遊び道具を自分でつくることで、小刀の使い方や紐のつくり方、縛り方などを覚えていきました。
女の子は、砂浜や地面にアイヌ文様を描いて覚えました。将来、着物の文様として役立たせるためです山菜や木の実の採集、料理は女性の仕事だったので、女の子はその仕事を覚えるため、ままごとのような遊びもしました。
男の子も女の子も、小さなときから身近な自然に触れて遊び、楽しみながら自分たちの役割を身につけていったのです。